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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)1610号 判決 1955年10月31日

控訴人 京浜急行電鉄株式会社

被控訴人 山田弘治 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張の要旨は、原判決の事実に記載するところと同一であるから、これを引用する。

<立証省略>

理由

一、山田芳松が昭和二五年四月一四日午前一一時頃、一般乗合旅客自動車運送事業を営む控訴会社の運行する横須賀発三崎行トレーラ・バス(神第四〇〇〇〇〇号)に横須賀駅前停留所から乗車したこと、岡田澄三郎が進駐軍用ガソリン罐にガソリン五ガロンを入れ、これを南京袋で包み外から荒縄で十文字に縛つたものを持つて、衣笠停留所から右バスに乗り込み、バスのほとんど中央部にある金属製柱から進行方向(南方)に向つて斜右三・一尺のところで、右側を向き、右側座席の前のつり皮のセルロイド製環を両手でつかんで立ち、その両足の間に、右ガソリン鑵をはさんで立つていたところ、右バスが午前一一時三〇分頃林停留所(衣笠停留所から三ツ目)を発車し、旧海軍武山海兵団兵舎(当時は進駐軍兵舎)の東北隅にある赤煉瓦信号所(横須賀市林二、一三三番地、石渡製材所附近)にさしかかつた際、右ガソリン鑵を包んだ南京袋に浸み出したガソリンが発火したので、岡田澄三郎はそれをかかえて後部昇降口から下車しようとしたが、既に乗客(当時座席定員四四名の座席は満員で、バスの中央部から後部にかけて十数名の乗客が立つていた。)が押し寄せていたので、出ることができず、引き返して前部昇降口に向つたが、そこも混雑のため出ることができず自分が立つていた前記位置から前方約六・五尺のところで、熱さに堪えかねて、ガソリン鑵を車体の前方高位部分(前部昇降口から前方の部分)に投げ出したこと、投げ出されると共に、鑵の口が開き、内部のガソリンが進行方向に向つてドツと流れ出し、それに引火したので、火陥が前方高位部分を中心として拡大し、その間ある乗客がバスの後部正面の窓ガラスを破壊したため、強力な北風がそこからバスの内部に吹きつけ、火勢猛烈となり、車体の前方高位部分は火炎と黒煙とにおおわれ、そこにいた山田芳松が他の乗客一八名と共に、脱出不能のまま、数分の間に焼死又は窒息死を遂げたことは、当事者間に争いがなく、成立に争のない甲第七号証及び甲第九号証の三竝びに原審証人竜崎啓司の証言によると前記南京袋に浸み出したガソリンの発火は、乗客関賢がガソリン鑵の置かれていた直前の座席で喫煙した際の火気が引火したためであることが認められる。

二、そこで本件事故についてバスの車掌井関信江及び鳥井ハツ江に過失があつたか否かについて判断する。

当時本件バスには控訴会社の車掌井関信江が後部昇降口車掌として、同鳥井ハツ江が前部昇降口車掌として乗務していたこと、鳥井ハツ江が岡田澄三郎が衣笠停留所から本件バスに乗車する際ガソリン鑵を持ち込むことに気が附かず、同人及び井関信江がガソリン鑵を車外に般出するとか、岡田澄三郎を降車させることをしなかつたことは、当事者間に争がない。

本件ガソリン鑵が約一斗を入れる容積であつたことは成立に争のない乙第一号証の九によつて明らかであり、岡田澄三郎がこれにガソリン五ガロンを入れ、これを南京袋で包み、外から荒縄で十文字に縛つていたことは前記のとおりであるのみならず、前掲甲第七号証、成立に争のない甲第九号証の三、四及び同号証の七ないし一一竝びに原審証人石川巳之助、同野沢千代子及び同竜崎敬司の証言を綜合すると、岡田澄三郎が衣笠停留所で本件バスの前部昇降口から乗り込む際には既にガソリンが鑵の外側を包んだ南京袋に浸み出し、ガソリンの臭がし、バスの進行中その臭が車内にただよつていたことが認められるのであるから(成立に争のない甲第九号証の六の記載内容、原審証人杉山長一、同長谷川要及び同川名勘蔵の証言竝びに原審及び当審証人井関信江及び鳥井ハツ江の証言中右認定に反する部分は、前掲各証拠に比照して信用することができない。)、井関信江及び鳥井ハツ江がバスの車掌として常に乗客の携帯品に注意すれば岡田澄三郎が持ち込んだ携帯品がガソリンであること又は少くとも異常な携帯品であることに気附いた筈であり、そしてその携帯品がガソリンの如き乗客に危害を及ぼすおそれある物品であれば、直ちにその持ち込みを拒絶し、それが異常な携帯品であれば、乗客にその内容を問いただし、疑問があるときはそれを見せてもらい、見せないときはその持ち込みを拒絶するため、乗車の際それを制止し又は持ち込んだ携帯品を車外に搬出させる)等の危害の発生を未然に防止する措置をとるべき義務があることは、当然であり、また自動車運送事業運輸規程第二条、第六条、第一六条、第二二条の規定の趣旨からも明らかである。しかるに右両名はこのような注意義務を怠り、本件ガソリン鑵の持ち込みを拒絶する措置をとらなかつたのであるから、この点において本件事故につき過失があつたものといわなければならない。

控訴会社は、本件事故は岡田澄三郎の重大過失のみによつて発生したもので、車掌両名にはなんら過失がない旨主張するのであるが、右両名に本件事故について過失があつたものと認められる以上、たとえ同人等の過失が本件事故に対する唯一の原因でなく、そこに岡田澄三郎の重大な過失が介在するとしてもそのために、車掌両名がその過失の責任を免れ得るものでもない。

三、井関信江及び鳥井ハツ江の過失は、控訴会社の被用者としてその業務の執行についてなされたものであるから、控訴会社は使用者として本件事故による損害を賠償すべき責任がある。

控訴会社は、井関信江及び鳥井ハツ江の選任、監督について相当の注意をしたから、損害賠償の責任がないと主張するのである。原審証人長谷川要、同川名勘蔵及び同島田松雄の証言によると、バスの車掌の採用については、控訴会社自動車部事務課が学術試験及び身体検査をし、合格者を各営業所に配属し、そこで接客の態度、車内における勤務方法及び金銭の取り扱い等を教示し、「車掌の友」という刊行物一冊を読ましめ、古参の車掌を附き添わせて二〇日ないし三〇日間実習をさせ、事務主任が独乗の資格があると判定した後、はじめてバスに乗務させていることが認められるから、右両名の選任については控訴会社に過失はなかつたものと言い得るとしても、事業上の監督について相当の注意を怠らなかつたと認めるに足りる証拠がない。すなわち、原審証人長谷川要、同川名勘蔵及び同島田松雄の証言竝びに原審及び当審証人井関信江及び同鳥井ハツ江の証言によると、控訴会社では一ケ月一回車掌を集めて車掌として守るべき注意事項等を周知させていたことが認められるが、このことだけでは、後記認定の事実に徴し、控訴会社が右両名に対する事業上の監督を怠らなかつたものと認めることはできない。むしろ前掲甲第九号証の二及び六によると、控訴会社は右両名に対し、危険物の持ち込みが禁ぜられていることについては厳重に注意するところが足らなかつたことがうかがわれるのである。(この認定に反する原審及び当審証人井関信江及び同鳥井ハツ江の証言は前掲各証拠に比照して信用することができない)

四、以上により控訴会社が本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務があることは既に明らかであるから、井関信江及び島井ハツ江のその他の過失の有無、また控訴会社自身の過失の有無について判断することを省略して、右損害について以下に判断する。

成立に争のない甲第一〇号証及び原審における被控訴本人山田ユキの供述によると、山田芳松は死亡当時東海運送株式会社に勤務し、「暁丸」の船長として給料その他一ケ月一万二、〇〇〇円ないし一万六、〇〇〇円を得ていたことが明らかであるからその平均収入は一ケ月一万四、〇〇〇円となり、これから被控訴人等が自ら認める山田芳松の生活費一ケ月二、〇〇〇円、税金一ケ月一、〇〇〇円を控訴するときは、同人の平均純収入は一ケ月一万一、〇〇〇円一ケ年合計一三万二、〇〇〇円となる。成立に争のない甲第六号証によると、年令五〇歳ないし五四歳の者はなお二一・五年の平均余命(この年令階級の最初における平均余命)を有することが明らかであり、原審における被控訴本人山田ユキの供述によると、山田芳松は死亡当時満五二歳で身体強健、精励格勤であつたことが認められるから、若し本件事故がなかつたならば、同人は、被控訴人等の主張するように、なお少くとも八年間は船長として東海運送株式会社に勤務し得たものと推定することができる。(この推定を覆すに足りる証拠はない。)その八年間の純収入合計一〇五万六、〇〇〇円は山田芳松が将来得べかりし利益で、同人は本件事故によりこれを喪失し、同額の損害を蒙つたものと言うことができる。しかし右金額は八年後に至るまでに漸次得べかりしものであるから、一時に損害の賠償を求める場合には、「ホフマン」式計算法により年五分の中間利息を差き、その損害を七五万四、二八五円七一銭とすべく、山田芳松は控訴会社に対し右金額の賠償を請求し得べきものと言わなければならない。

前掲甲第一〇号証によると、被控訴人山田弘治は山田芳松の唯一人の子であり、被控訴人山田ユキはその妻であることが明らかであるから、被控訴人山田弘治は山田芳松の右損害賠償請求権の三分の二を、被控訴人山田ユキはその三分の一を相続により承継し、控訴会社に対し被控訴人山田弘治は五〇万二、八五七円一四銭、被控訴人山田ユキは二五万一、四二八円五七銭の損害賠償請求権を有するものと言うことができる。

次に、前掲甲第一〇号証によると、山田芳松は大正一四年三月三一日山田金太郎(同人は明治四二年三月二六日被控訴人山田ユキと養子縁組)の婿養子となつたことが認められるから、山田金太郎は山田芳松の養父として、被控訴人山田ユキ及び同山田弘治はその妻子として、山田芳松の死亡により甚大な精神上の苦痛を蒙つたことは当然である。前掲甲第一〇号証、当裁判所が真正に成立したと認める甲第三号証及び原審における被控訴人山田ユキの供述によると、山田金太郎は長年盲で山田芳松の扶養を受け、同人の死亡当時は満七一歳であつたこと、被控訴人山田弘治は山田芳松の唯一人の子であつて、同人の死亡当時は高等学校二年在学中で、将来短期大学入学の希望を持つていたが、山田芳松の死亡後は生計が困難となつたため、その希望を放棄しなければならなくなつたこと、被控訴人山田ユキはなんらの収入もなくて未成年の子と起居不自由の養父を抱えることになつたことが認められ、控訴会社が資本金二億円の一般乗合旅客自動車運送事業を営む株式会社であることは当事者間に争がなく、これらの事情に山田芳松の本件事故による悲惨な最後を考え合せると、被控訴人両名及び山田金太郎の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては、いずれも一〇万円が相当であると認められる。

前掲甲第一〇号証によると、山田金太郎は昭和二九年三月二六日死亡し、被控訴人山田ユキがその唯一の相続人であることが認められるから、同被控訴人は山田金太郎の右慰藉料請求権を相続により承継したものと言うことができる。

そうすると、控訴会社は、被控訴人山田弘治に対しては前記損害金五〇万二、八五七円一四銭及び慰藉料一〇万円を、被控訴人山田ユキに対しては前記損害金二五万一、四二八円五七銭同人の慰藉料一〇万円及び相続により承継した山田金太郎の慰藉料一〇万円を賠償すべき義務があるものと言わなければならないから、被控訴人山田弘治が前記損害金の内四六万六、六六七円、慰藉料一〇万円合計五六万六、六六七円、被控訴人山田ユキが前記損害金の内二三万三、三三三円、慰藉料二〇万円合計四三万三、三三三円及びそれぞれ右各金額に対する昭和二六年一〇月二七日(訴状送達の日の翌日であることは本件記録に徴し明らかである。)以降支払済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は正当として認容すべきである。

よつて、控訴会社の本件控訴は理由がないものとして棄却すべく、被控訴人等の本訴請求の一部のみを認容し、他を棄却した原判決は失当であるが、これに対し被控訴人等は控訴をしないので、原判決を変更することはできない。なお訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 角村克己 菊地庚子三 吉田豊)

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